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  • 執筆者の写真福田百貨店 黒田

第48回_村井まなさん[四万十町議会議員&アーティスト]

更新日:2022年1月17日



今回のゲストは、 子育てをしながら故郷四万十町の議員となったアーティストの村井まなさんです。


元々はアーティストとして、世界(アジア・ヨーロッパ・オーストラリア・日本)音楽ツアーや、アメリカ横断音楽ツアーなどの精力的な活動を展開していた行動力あふれる方です。



現在の活動


最近では「四万十町議会議員の村井まなです。」と自己紹介することが多くなったそうですが、元々はギターで弾き語りをしたり作詞作曲をするアーティストさん。人を癒やせる唄い手になりたいという理想を抱かれています。



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活動の経緯


母の地元だった四万十市の西土佐村で生まれ育つ。鎌倉から移住した父は有機農業をしており、カルチャーの違いなどもあって余所者扱いされている姿を見て育った。どちら側の言い分も理解できたため、子供の頃から「違いを融合して行きたい」と思っていた。小学生の頃に将来の夢を『政治家』と習字で書いた。


中学生に入り、上下関係や体育会系の先生の指導などに慣れず不登校に。中学二年生の頃、掲示板に貼ってあった参議院主催の『子供国会』に参加。そこで「色んな意見があって良いんだ!」と気付いて、それまで感じていた生きづらさが楽になる。


中学の頃、PTA会長をしていた父がライブで四万十方面に来ていた宮沢和史さん(『島唄』で有名なTHE BOOMのボーカル)を中学校に呼び、生歌や詩を聞いた。その時に音楽の表現力に感動を受け、また姉の影響もあり音楽を始めることに。


地元の西土佐分校に進学して高校時代はひたすら音楽に取組むとともに、『幡多高校生ゼミナール』という活動に参加し、地元の歴史の中にある社会問題を知る。


手に職を付けるため高知市内の調理師学校に進学。その際、高知市内で住んだマンションが市民の草の根活動で作られた『平和資料館・草の家』の上階で、隣近所に住んでいた草の根活動をしている方々から人権や歴史、フェアトレードなどの知識を自然と教えて貰う日々を過ごす。


卒業後に調理師として1年間ワーキングホリデーでカナダに留学。現地で路上ライブをしていた。帰国後四万十町に住み、公務員の旦那さんと結婚。二人で世界放浪ツアーに出る。スイスで近自然学の研究所である山脇正俊先生に出会い、近自然学を教えて貰う。


その後アメリカツアーに。「ツアーの様子を映画化して報告するから資金を出して!」と友人たちに頼み込み、今のようにクラファンが流行っていない頃にアナログなクラウドファンディングを行いツアー資金を集めた。


ネイティブアメリカンの人たちとの出会い、年に1度のサンダンスの儀式に参加させて貰った。そこで自分の愛の泉に出会う体験をして「絶対に大丈夫だ」という自己肯定感を得た経験が大きく人生に影響を与える。


その後子供も生まれて、どんな社会を自分たちは残していけるかと考えると同時に、何か仕事をしなくてはと考える。その際、「議員ならできる!」と思い立ち、選挙1ヶ月前に急遽立候補し当選。



2046年に関する4つの質問


Q1. どこに住んでいたいですか?

「四万十川の畔(ほとり)」

Q2. 今の取組みがどうなっていたら良いですか?

「世界の中心」


Q3. 最も理想的な世の中はどうなっていますか?

「みんなが笑顔」

Q4. お迎えが来ました。死ぬ間際にひと言どうぞ!

「お疲れ様でしたー!」



2046に向けて


四万十川が大好きで、四万十川を守るために議員になったので、将来も四万十に住み続けたい。四万十にはまだ持続可能な社会が残っていて、その生活スタイルは世界の最先端だと思っている。その素晴らしさや良さを守っていき、トップランナーとして世界に発信していきたい。


ただ、そうは思っているけれど、自分は強い方ではないし、今はまだまだ出来ないこともたくさんあるので、みんなの力を借りながらやっていきたい。


 ***



くろだ の ひとこと


アーティストからママさん議員になったという経歴を聞いただけでは、思いつきや勢いで政治家になったように受け取ってしまいがちですが、実際のところ村井さんの話を聞いてみると、早くも小学生の頃から「だれもが生きやすい社会」を目指して政治家になることを目標にしていたのだと分かります。


幼少期から思春期、青年期を通して経験してきた体験の濃度がとても濃くて、成るべくして地元の議員になった方なのだと思わされました。




●村井まなさん関連サイト


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